子には多少の我慢をしてもやりたいことがある。それは欲とかでもそうだし、後のことを考えての効率に関してでもある。
親には言ってしまうことがある。自分が正しいと思っていることを相手に容赦なく子にぶつける。子が何に重きをおき何がしたいのか、そのリスクを差し引きした上での行動だとしても、それを押し潰すように言ってしまうのだ。
--------キリトリ線--------
数年前のことだ。
ある日急に体調が悪くなった。
お風呂から上がってから妙に頭痛がするし、目を動かしても痛みが走る。
体も少し熱いような気がしたので体温を測ると37.4℃と微熱があった。
いつもより早く寝たけどあまりの頭痛に数時間ごとに目が覚めた。熱は38℃まで上がっている。
これはまずい。
熱が上がるのを耐えることはできるけど、この頭痛を耐えることが出来ない。しかも吐き気もしてきた。
早く治すにはこのまま熱を出していた方がいいが、頭痛を治すならロキソニンを飲まなくては。最悪は重なりロキソニンは家になかった。
しかも時間は深夜なので買うことも出来ない。朝になるのを待たなければ。
弱りきった僕は実家にいる親に電話をかけた。
そしてこの状況をとりあえず伝えた。
気持ちはスッキリした。
やはり悩みは人に話すと楽になるというのは本当で、それが親なら尚更だ。
結局朝までなんとか耐えることでき、ロキソニンを買って飲んだ。頭痛と熱は嘘のように治った。
頭痛が治るのは納得できるのだが、熱が治まると言うとは怪しい。
これはもうひと暴れくるなと思い夜に備えていると
ーーやはり来た。
微熱が再びやってきた。38℃とまではいかなくとも寒気とダルさがやってきた。
今回頭痛はなかったので耐えることは余裕で熱には存分にウイルスに戦ってもらうことにした。
翌朝熱は平熱までさがったが、今度は腹が痛い。腸も痛い気がするし胃がキリキリする。
頭痛が酷かった時に比べたら屁でもないので安静にしていると両親から電話が来た。
「あれから調子はどうだ?」
「薬はのんだか?」
「また遅くまで出歩いてたんだろう」
「腹が痛い?便秘じゃないのか?笑」
よくある親子の会話だと思うが、最初に電話したときとは少しだけ印象が変わっていた。
最初はただ聞いて欲しかったのだ。不安だったから。共感してほしくて。解決法があるならそれも一緒に。
それは見事に満たされた。
しかし1度容態が安静したかとわかると、相手の不安を和らげるだけでなく、自分の言いたいことが顔を出してくる。
そんなになったのはおまえのせいだ。
大袈裟に言ってるんじゃないのか。
違う。この時点でぼくはそんなことを言って欲しいんじゃない。むしろ電話はいらなかった。
でもそれは勝手かもしれない。
自分で心配させるようなことをいったのに、電話するななんて。
ここで1つ歯車がズレた。
ああ、いわなきゃよかったな
言葉はなげかけられる。
「しばらくは大人しくしてろよ!」
「出歩くなよ!」
しかしその言葉をうけるわけにはいかなかった。実際ぼくには用事でどうしても出なければいけないことが数日以内にあったのだ。
「.......うん」
言わなかった。黙っていた。
言えば反論されるのは間違いない。なんせ正しい。体調がわるいなら体優先。だれがこの言い分を負かすことができるだろうか。
でも僕自身考え無しなわけじゃない。たしかに熱があって頭痛もしてる状態なら外出しないが、腹痛くらいならそれに値しない。(熱と頭痛のあとに腹痛で若干の違和感と不安はあったが)
言葉はいらない状態なのに、さらに反論なんて聞きたいわけが無い。勝手だが相手の言うことが、言われなくてはいけないことが、言ってしまうことがわかっている以上、こちらからそれ引きづり出す必要はない。
翌日。
早朝に親から連絡が消ていた。
「熱や体調はどうだ?」
熱はでていなかったがまだお腹に違和感もあり、そこまで食欲も出ていない。
しかし外出予定も近づいている。
ぼくは返信を打った。
「問題ないよ。」
嘘をついた
いい嘘悪い嘘の話をしているんじゃない。
欲しい言葉があるから言う。欲しくない言葉はいらない。言うから言われる。
親だから友達とかよりも言わなくてはいけないことを言う。
こうなると子は思う。
今後、余計なことは言わないようにしよう。言われるような言葉は変えてしまおう。そうすれば何も起きない。
なんでもかんでも話していた親子の関係。
いつからか変わったなと思うところはないだろうか?
小さい出来事からだんだんと大きくなっていくこととある。
ぼくはだんだん無口になっていく。